コラム

(57)The Ultimate Charity - The Gift of Life

 マーティ・キーナート


少し個人的な話になります。1992年8月4日、私の双子の息子の一人、Timothy/ティモシーはアラバマ州のバーミングハムでバイク事故に遭いました。ティモシーはアメリカで大学に通っており、私はアラバマでマイナーリーグ球団バーミングハムバロンズの社長の役目を終えて、日本に戻ったばかりでした。

危篤状態との電話を受けて私はすぐに飛行機に飛び乗りました。事故から24時間以内には病院に到着しました。最初、医師は非常に難しい脳手術を行えば彼を救えるかもしれないと言いましたが、数時間後には、それも無理である事を告げられました。彼はすでに脳死していて、ほかに手の施しようはなかったのです。
医師はすぐに我々に「息子さんの臓器提供を行いますか?」と聞きました。彼は若く健康で彼の臓器はほかのだれかの命を救う事ができると。私は即座に了承しましたが、日本人である彼の母親(私の前妻)は、反対しました。これは日本人独自の死に対する世界感や宗教、倫理感、愛情感の違いによるものでしょう。息子を亡くした母親の意思を尊重し、我々は結局彼の臓器提供を行いませんでした。この決断を私はいまでも後悔する事があります。8月7日に医師は私の息子の生命維持装置を切り、彼は安らかに旅立って行きました。21歳の若さでした。

数週間前、Rod Carew/ロッド・カルーという伝説の野球選手の記事を読んだとき、私は息子ティモシーの事を思いました。ロッドは1967年の新人王、そして18年連続でオールスター選出、1977年にはアメリカンリーグのMVP、7回の首位打者、生涯打率3割2分8厘という輝かしい実績を残した有名選手です。

2015年9月、69 歳の時、彼は心臓発作を起こし突然ゴルフ場で倒れました。彼は6週間入院し、心臓移植が必要であると告げられたのです。そして2016年12月15日、ロッドはNFLのタイトエンドであったKonrad Reuland/コンラッド・ルーランドから臓器提供を受けました。コンラッドは12月12日脳動脈瘤で突然この世を去った29歳の青年でした。コンラッドは、生前ドナーカードにサインしていたので彼の臓器は速やかに提供されました。彼の心臓と腎臓の1つはロッドの元へ、またその他の臓器も他2人の患者へ移植され、彼らの命を救ったのです。1つの命がまた新たな命を救えるとはなんと素晴らしい事でしょう。

私自身の経験とこの話から私は改めて日本における現在の臓器提供の状況を確認してみました。すると1997年10月16日の臓器提供法の改正以来、日本の脳死状態の患者からの臓器提供率は少しずつ伸び続けていました。しかしながらまだまだ臓器提供という考えへの理解が必要だと思います。私は若くなく私の臓器がだれかの役に立つかどうかはわかりませんが、私もドナーカードにサインしています。日本では臓器提供の意思表示は15歳から出来る事になっています。あなたは意思表示していますか?

https://www.jotnw.or.jp/en/00/
https://www.jotnw.or.jp/



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マーティ・キーナート

<プロフィール>

アメリカ ロサンゼルス生。1968年スタンフォード大学卒。1969年慶応大学日本語コース修了。以来滞日40余年、一貫して日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。2004年「東北楽天ゴールデンイーグルス」の初代ゼネラルマネージャー。仙台大学特命副学長/東北大学特任教授などを歴任。2018年よりプロバスケットボールチーム「仙台89ERS(エイティナイナーズ)」のオーナー代行兼シニアGM就任。   

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