コラム

(56)Hope and happiness growing out of near tragedy

 マーティ・キーナート


アメリカンフットボールというスポーツが身体のぶつかり合いが激しく危険なスポーツであるということは、多分みなさん想像がつくことでしょう。けれどもその危険の度合いが時に命に関わることもあり、そのためにプロのNFLの試合はもちろん、大学のNCAA(全米大学体育協会)そしてほとんどの高校の試合に至るまで、その試合のベンチには必ず医師の帯同が義務づけられており、救急車もスタンバイしているという事をご存じでしょうか?

今年の2023年1月2日、アメリカンフットボールNFLのシンシナティベンガルスとバッファロービルズの人気試合がオハイオ州シンシナティで行われました。その試合はニューイヤーズで大勢が楽しみにしている試合でしたが、そこで起きた事故はこのスポーツの恐ろしさをまざまざと見せつける結果となりました。
試合開始からわずか9分後、バッファロービルズのディフェンスバックのダマール・ハムリン(Damar Hamlin)はベンガルズのワイドレシーバーのティー・ヒキンズ(Tee Higgins) にタックルをしました。2人の屈強な男は、フルスピードでぶつかりあい地面に転がったのです。2人とも最初すぐに起き上がりましたが、ハムリンは2歩歩いたと思ったら、そのまま仰向けに倒れ気絶しました。トレーナーと医師が即座にハムリンに駆け寄りました。そして彼らはハムリンの心臓が完全に止まっている事に気がついたのです。トレーナーと医師は、AEDマシーンが届くまでの間にCPR(心肺蘇生)を行い、その場で彼の心臓を蘇生させる事に成功したのです。彼の命を救う措置がフィールドのど真ん中で行われている時間は18分足らずでしたが、その間、選手をはじめとしその場にいた誰もがこの24歳の2年目の選手の命がどうか助かるように祈っていました。
救急車も間髪入れずに到着し、医師がハムリンを動かしてもいい状態かどうかを確認した上で、彼を緊急病院に搬送しました。救急車が去った後、試合を続行するか話し合いがされましたが、ハムリンの生死がわからないままの試合続行は無理と判断され、試合は中止となりました。
見守っていた6万5千人もの観客の多くが涙を流し、この若者の命が救われる事を祈りながら静かに球場を後にしたのです。

ハムリン選手は3日間の昏睡状態の後、奇跡的に目を覚ましその後順調に回復を遂げました。もし、球場で即座に救急蘇生措置がなされなかったならば、彼はそのまま完全にこの世を去っていた事でしょう。このニュースに全米中がミラクルと喜びました。

しかし嬉しい話はここで終わりません。ハムリン選手は母校ピッツバーグ大学在学中に、金銭的な理由などからプレゼントに恵まれない子供たちへ誕生日やクリスマスなどの時におもちゃを送る資金を募る「The Chasing M’s Foundation」という小さな寄附団体を立ち上げ、”Go Fund Me”というアメリカ国内で有名なクラウドファンディングのプラットフォーム内で目標額2,500ドル(約30万円)の支援を呼びかけていたのですが、ハムリンが危篤状態のたった2日間の間に、多くの心優しい篤志家からの寄附により、件数20万件以上、金額にして約700万ドル(約9億円)もの支援があっという間に集まったのです。それは今も増え続けており実に900万ドル(約11.5億円)以上になろうとする勢いです。

https://www.gofundme.com/f/mxksc-the-chasing-ms-foundation-community-toy-drive

コロナが蔓延し世界で悲劇的な紛争が続いている不安定なこの世の中で、このようなハッピーエンドの話を目にするのは心が洗われる気持ちになりますね。ハムリン選手は自分の命が助かっただけではなく、この先何十年以上に渡り、多くの恵まれない子供たちに笑顔を届けることになるでしょう。



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マーティ・キーナート

<プロフィール>

アメリカ ロサンゼルス生。1968年スタンフォード大学卒。1969年慶応大学日本語コース修了。以来滞日40余年、一貫して日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。2004年「東北楽天ゴールデンイーグルス」の初代ゼネラルマネージャー。仙台大学特命副学長/東北大学特任教授などを歴任。2018年よりプロバスケットボールチーム「仙台89ERS(エイティナイナーズ)」のオーナー代行兼シニアGM就任。   

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