人工の鼻、人工の舌

安斉 順一=文
text by Jun-ichi Anza

 1本20万円もする高級ワインと1000円の安いワインを並べて、ニオイを嗅いだり飲み比べたりしてどちらが高いワインかをあてる、というテレビ番組を見たことがある人もいるでしょう。自称ワイン通の大物俳優が、自信満々にウンチクを傾けたあげくに見事に間違える場面では、はじめから正解を知っている私たちは「自分だったら間違わないのに」とつい思ってしまいます。
 それでは、この記事を読んでいる皆さんは、オレンジジュースとリンゴジュースは区別できますか?普通に飲めば間違わないでしょう。しかし、目隠しをして、鼻をつまんで飲んだ時に、区別ができるでしょうか?「簡単だ」と思う人は、1度試してみてください。思う程にはやさしくないことが、わかるはずです。味覚だけでなくニオイ(嗅覚)と、目で見ること(視覚)も加わってはじめて、私たちは食べものを区別したり、「おいしい」と感じたりできるようです。
 さて、コーヒーの香りに触れただけで銘柄をピタリと当てる人工の鼻や、ビールを一滴たらしただけでどのメーカーの何というビールかがわかる人工の舌、の研究が世界中で進んでいます。もちろん、わかるのはコーヒーやビールだけではありません。これらは、エレクトロニックノーズ、エレクトロニックタン、などと呼ばれています。
 エレクトロニックという名前でわかるように、人や動物の鼻や舌を使ったものではなく、電極などの電子部品を使って作られた鼻や舌なのです。一言でいえば、小さな電子部品です。ですから、私たちの鼻や舌とは似ても似つかない形をしています。私たちの鼻や舌にあるニオイや味を感じる細胞と似ている、特殊な人工膜を電極などにつけたもので、香りや味の違いを電気的な信号として取り出します。このため、ニオイセンサーとか味センサーと呼ばれることもあります。
  人工の鼻や舌は、何のために作られるのでしょうか。生鮮食品の品質管理、飲料水の汚染の防止対策、シックハウスの対策、など多方面へ利用されるようになるでしょう。また、コーヒー、ビール、酒、醤油、香料、医薬品などの香りや味を調べるために、工場で実際に使われ始めているようです。
 人工の鼻や舌は、香りや味の違いを正確に区別できます。しかし、「いい香り!」とか「おいしい!」と判断できるわけではありません。香りや味の価値判断をするのは、依然として私たちの鼻や舌です。1000円のワインだっておいしいと、私の鼻と舌は言っています。


〈エレクトリックノーズ〉
電極表面にニオイ受容細胞を模倣した、 膜(緑色)を塗布したエレクトロニックノー ズにニオイ物質(赤色)が吸着したようす。




あんざい じゅんいち
1952年生まれ
現職:東北大学大学院 薬学   研究科教授
専門:バイオセンサー


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