[研究室からの手紙]

患者さんこそが自分を治す主人公

−口臭患者の自助療法から

岩倉 政城=文
text by Masaki Iwakura

悪臭を退治する
 病気を治すのは、医者の仕事と思われています。たしかに、怪我をしたら縫う、感染したら抗生物質を飲む、といった具合に医者が治すものはあります。口臭を訴えて次々と来院される患者さんと接していた私達もまた、口の悪臭をとれば治るもの、と、治療に専念していました。 口臭の原因は大部分、歯ぐきの病気(歯を支える周りの組織が細菌感染で壊れ、ウミがでる)と、舌の苔(ベロの上皮が古くなって剥け、口の中に棲む細菌で分解を受けたもの)です。口をきれいにするのは予防歯科の専門領域でもあり、それほど難しくありません。「臭いが無くなりました。ありがとうございました。」と、言われて有頂天になっていました。

口臭を測る
 ところが、治ったはずの患者さんの中に、「まだ気になる」と再来される方が出てきました。そのたびに、有機化合物の微量定量に使うガスクロマトグラフィという装置で測ってあげますと、安心されます。しかし、この装置は、測れるまでに1時間半、測定に20分、停めるのに2時間という、やっかいなものです。 ほとほと困って簡便に口臭を測れる器械がないかと探しましたが、歯ミガキ後に残る磨き粉の成分で反応するような代物しかありませんでした。こうなれば作るよりありません。1m/m四方の微小な酸化亜鉛の特殊薄膜を使って、口臭の簡易測定装置を開発しました(写真)。ウォーミングアップに3分、測定は2分以内の便利なもので、これで気楽に何回でも測ってあげられるようになりました。

開発した半導体薄膜の簡易口臭測定器
口にくわえて2分で結果がでる。

測っても 治らない患者
 しかし、これでも口臭は治しきれないことが分かってきました。何と、口臭を訴える患者さんの7割に悪臭がないのです。悪臭がある人は治っていくのですが、最初から口の空気に悪臭がない人は、測って「ありません」、それでも気になれば、また測って「ありません」と言えば治るかというと、そうはいかないのです。内科、消化器科、耳鼻科そして歯科を転々としてきた患者さんの多くは、「自分は口臭があるに違いない」と主張し、その理由をたずねると、人が自分を見つめる、人が自分の前で鼻に手を当てる、自分が近づくと会話が途絶える、など、人のしぐさ、様子から自分の口臭が原因であると思い込んでいたのです。 21歳の女性で、口臭を気にするあまり全部の歯を抜いて総義歯にして、それでもなお口臭がする、と、来院された患者さんがいました。精神科、心療内科への受診勧告にも応じてくれません。「気のせいではありません、臭いさえとってくれればいいのです。」の一点張りです。

患者同士の語り合い
 もちろん、繰り返しの測定や、悩みを存分に話したり、いくつかの認知療法、行動療法を受けて治っていく人もいます。しかし、それでもはかばかしくない患者さんたちに集まってもらって、一人一人に口臭を悩み始めた頃の話をしてもらいました。50歳を過ぎた主婦が中学の時から口臭に悩んだいきさつを話しますと、やはり口臭にこだわる不登校の高校生がぽろぽろと泣いて聴いています。また、中年で独身のバス運転手さんが「あー自分と同じだ」と感想を言います。 こうして、幻の口臭という辛いトンネルを抜けていく人が出始めました。口臭にこだわる他人の中に自分を見つけ、こだわっている自分に気づいて立ち直った人たちです。 医者が主人公の医療から、患者さん達こそが自分を治す主人公である時代がやってきています。 研究それ自身を目的にするのではなく、患者さんの訴えと症状に学びながら、大学の診療を研究と結びつけるという果てしない課題と取り組んでいます。



いわくら まさき
一九四三年生まれ
現職‥東北大学大学院        歯学研究科助教授
専門‥発達加齢・保健歯科学講座    予防歯科学分野

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