[研究室からの手紙]

『脳』を科学する

脳と間欠泉のしくみ

沢 田 康 次=文

さわだ やすじ

1937年生まれ

東北大学電気通信研究所教授

専門:情報物理学、ブレインコンピュータの設計と試作

 人は脳を使ってお互いにコミュニケーションする生き物です。今や、世界中に光ケーブルや通信衛星網を張りめぐらし、電話はもとより、電子メール、インターネット、ファックスなどによって地球の反対側の人と瞬時にお話したり、細かい情報を交換しています。こんな道具を創りだしたのも、使いこなしているのも、人の脳の役割です。

 自分の脳は一体何をしているのかと、まるで他人事のように考えてみませんか?。科学は、自分のことでも他人事のように扱うのが特徴です。心を持っている脳を一体科学的にどう考えればよいか最近まで分からず、科学が手を付けにくいテーマとして今まで残ってき ました。

 脳を外から見ているだけでは、どうして目があんなに輝くのか、どうしてあんなに美しい詩が創れるのという不思議さしかわかりません。感動してしまうと、もう他人事にはなれなくて、その美しい世界の中に入ってしまう。これは科学の世界ではありません。

 科学は「どうして?」という疑問をどんどん掘り下げます。そのような掘り下げを行いますと、脳の中は、脳神経細胞と呼ばれる特殊な細胞が銀河ひとつのなかの星の数と同じ位詰まっていることがわかってきました。

でも、星のように光り続けているのではありません。

 この細胞は、鬼首(おにこうべ)にある間欠泉と似た働きをします。地下水が間欠泉のなかの洞にじわじわしみだし、ある量がたまると高熱の水蒸気が発生して、たまった地下水を吹き出す。この吹き出した水が、また別の洞にたまる。この間欠泉を地球の表面に約 100m間隔に並べると、間欠泉の数はだいたい一人の脳の神経細胞の数と同じになりま す。このように、非常に多くの間欠泉が水をためたり吐き出したりしているのと同じことをやって、人の脳は驚くべき叡智を発現しているのですが、そのしくみはこれからの若い人たちが次々と明らかにしていくでしょう。

 そもそも、この不思議な脳は、生物が進化する過程で自分を危険から守るために創られてきたのです。ヒドラのように脳を持っていない生き物もたくさんあります。単細胞生物が進化して多細胞生物が生まれても、まだ神経細胞は身体中にばらまかれていて、脳という神経細胞の塊のような組織はありませんでした。このような生物では、外の刺激を筋肉に伝えて縮こまるくらいが関の山だったのですが、それに比べると、脳は記憶を持っている点で格段の違いを示せるようになりました。

 記憶は、先のたとえでいいますと、間欠泉が吹き出してから他の洞ヘ流れ込む水の通りやすさ、すなわちAからBへは通りやすいがBからCへは通りにくいなどの情報に書き込まれていると考えられてます。この通りやすさも学習によって変化します。通れば通るだけ、さらに通りやすくなる。使えば使うほど、頭が良くなるつくりです。

 脳を持つ生き物は、記憶を使って外の変化を予測し、筋肉に信号を送り、危険を回避することが可能になりました。このことは簡単に示すことができます。つまり、記憶を持つことで危険を先読みすることができるのです。これは生存競争を生き抜くための一つの選択肢でした。

 片平丁にある東北大学電気通信研究所のなかに、私たちの脳が持つしくみをそっくり電子回路で作ってしまおうと世界をリードしている研究があります。この研究の中から先読み能力がある条件を満足すると脳には主体性が生まれることを示すこともできました。「こころ」もすでに科学研究の射程内にあることは確かです。将来は脳の創造活動さえも人工的に実現できるでしょう。

脳の上外側面(上図)と神経細胞(左図)