[研究室からの手紙]
       しせいかん
墓が語る死生観
鈴木 岩弓=文
text by Iwayumi Suzuki
 
 人類の歴史の中に墓を造るという生活様式が現れたのは、今から数万年以上前のこととされています。以後、造墓行動は他の動物には見られない、人類固有の文化として展開してきました。従って、「人間とは墓を造る動物である」と言うことができます。
 ただ、一言で「墓」と言っても、さまざまなものが見られるのは周知の通りです。ピラミッドのような巨大施設を伴う場合がある一方、荒野に白骨が散らばるだけの風葬地もあるのです。しかしそのように形態が多様であっても、人が墓を造る目的は、〈遺体処理〉と〈魂の救済〉の2点に集約することができます。この背後には、われわれ人間が霊魂と肉体からなるとする、霊肉2分論の考え方が共通してあるからです。
 私は近頃、墓を手がかりにした死生観の把握を試みています。死生観とは読んで字の如く、「死」及び「死を見据えた生」をどう考えるかといった観念のことで、あらゆる宗教現象の根本的要素です。他者の観念を把握するには、大きな困難が伴うのが通例です。正面から質問して微妙な心の内を探ってみても、なかなかホンネを語ってはくれません。このような場合、観念自体を問うだけではなく、観念に基づいた行動やその結果として造られた物質文化にも着目することは、他者の観念を逆方向から照射することにもなります。その意味からすると、現在見られる墓は、造墓当時の死生観を封じ込めたタイム・カプセルと位置づけることができるのです。

自由な形式の墓:これが生前墓(生前に造った墓)ならば、「ありがとう」は誰の誰へのメッセージなのだろう。

 そのような観点から、日本国内のいくつかの公営墓地において、墓園内の墓石を全て調査しました。その際には墓に書かれたさまざまな文字内容や形態などの情報をデータベース化しましたが、とりわけ建立年月の明らかな墓に絞った分析を行うことで、そのような死生観の時間的変化を跡付けることが可能となりました。その結果、現在の公営墓地では、家意識の希薄化・仏教色の希薄化・自由度の増加などの変化が見られ、「現世中心的な死生観」が強くなっている傾向が明らかになりました。しかもそのような変化は、1990年代に入ってから、急速に加速しつつある現状もわかってきたのです。
 また、併せてモンゴルでは、葬法の違いが及ぼす死生観の変化を調査しています。かの地では、つい最近まで風葬が主流で、死者が出ると風葬地に遺体を遺棄してくるのが普通でした。それがソビエトの影響以降、墓石を用いた土葬墓が造られるように変化しつつあります。何の施設も造られなかった風葬時代から、死者を埋葬した場が石やセメントで固定化されるようになった今、彼らの死生観には変化が予想されます。このことを知ることは、散骨などの現れだした日本の墓制の今後を考える上でも興味深いことです。
 さらに、墓は何の先入観を持たずに見ても、多くのことを語ってくれます。偶像崇拝を禁じているはずのムスリムの墓地に林立する、遺影を焼き込んだサマルカンドの墓石群。クリスチャンの多いスマトラのバタック族の墓地に点々と散らばる、改葬のために打ち壊した墓石。そういった事例からは、宗教教義とは相容れない、イスラム教やキリスト教における現実の信仰の姿を見ることができるのです。
  こうしてみると、墓は、怖い・汚らわしいなどと忌み嫌うだけでは勿体ない、先人からの貴重な遺産だということができます。その点に気づいたのが、「掃苔家」と呼ばれる人々です。その代表の永井荷風や森鴎外などは、苔むした墓石を掃き清めながら、自分とは直接関係のない人の墓を見て廻ったと言います。研究対象としてのみならず、墓は自己の死生観を見つめる上でも有意義なものなのです。

サマルカンドのムスリムの墓

すずき いわゆみ

1951年生まれ
現職:東北大学大学院
   文学研究科教授
専門:宗教学

ページの先頭へ戻る