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インタビュー

小池 光(こいけ ひかる)
第24回 2011年1月26日更新 桜岡大神宮宮司・仙台工業専門学校 1950年卒業 坂本 壽郎(さかもと じゅろう)

1947年宮城県柴田町に大池唯雄 (おおいけ ただお)、本名小池忠雄、「兜首」「秋田口の兄弟」で第8回直木賞受賞の長男として生まれる。東北大学大学院理学研究科修士課程修了。1972年短歌結社「短歌人」に入会。1975年埼玉県の私立高校へ理科教師として就職。1978年第1歌集『バルサの翼』を発行、翌1979年同歌集により第23回現代歌人協会賞。1980年「短歌人」の編集人となった。1995年には第4歌集『草の庭』により第1回寺山修司短歌賞。2001年、第5歌集『静物』で芸術選奨文部科学大臣新人賞(文学部門)。2004年、「滴滴集6」30首(「短歌研究」2003年1月号)および「荷風私鈔」34首(「歌壇」 2003年9月号)をもって第40回短歌研究賞。同年、評論集『茂吉を読む―五十代五歌集』で第2回前川佐美雄賞。2005年、第6歌集『滴滴集』で第16回斎藤茂吉短歌文学賞。同年、第7歌集『時のめぐりに』で第39回迢空賞。


歌人、小池光さんは東北大学理学部のOB。現在、短歌結社「短歌人」の編集人として、作歌はもとより結社の機関誌編集、評論、執筆活動、短歌大会選者、新聞歌壇の選歌、後続者の指導など多彩に活躍。また、仙台文学館の館長職を担い、仙台の文学活動にも尽力されています。何気ない日常の風景を写実風に詠みながら、斬新な試みを究め、存在の本質を透徹するような歌を紡いでおられます。

観察と想起の脈絡で、鋭く本質をえぐる。
つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり

短歌と出会ったのは、大学時代
 東北大学理学部に入学したのは、たしか昭和40年。学科を選ぶ際に数学か物理か迷いました。あの頃は20世紀は物理の世紀と言われ、学問の中でも物理のポジションが高かったのです。それで物理学科に憧れてしまって。
 でも、物理の授業は難解で、ついていくのが精一杯。ひたすら実験に明け暮れる毎日で、好奇心が強くいろいろなことに関心を抱いていたせいか、なかなか研究だけに没頭することはできませんでした。大学院に進学すれば研究にもっと燃えるようになるかとも思いましたが、どうもそうもならず研究者の道はあきらめるようになりました。
 短歌と出会ったのも、大学時代。小説や詩などを読む中、短歌に他の文学とは違った不思議な魅力を感じました。当時は学生運動が大きな盛り上がりをみせ、社会全体が揺れ動いていました。短歌は、表現するものは自由ですが、5・7・5・7・7の形式によって成り立ちます。既存のものが壊れる時代だったことから、逆に揺るぎないフォルムへの飢餓感があり、それできっと短歌に心が傾いていったのですね。短歌結社「短歌人」に入ったのは25歳頃です。
昼は教師、夜は歌人の毎日
 物理と短歌は対極的なものですが、どこかつながっているのかも知れません。物理学や数学の論理はつきつめて行けば、哲学であり、さらにつきつめれば「詩」ですね。例えば、ニーチェは詩人ですし、相対性理論は詩的でもあるわけです。物理学を学んだことは、歌づくりの視点に少なからず刺激となりましたね。
 修士課程を終えた後、私立高校の物理の教員となり、昼間は教師をして、夜に短歌に向かったりという、一種の二重生活を続けていました。
 31歳の時に、初めての歌集『バルサの翼』を出版しました。翌年、幸運にも賞に恵まれて、歌人として認められるようになったのです。その後、「短歌人」の編集人となり、二足草鞋の生活は退職するまで30年余り続けました。
 短歌の愛好者は全国100万人を超えるとか。新聞の歌壇をはじめ選者という役割があります。今、新聞4紙の選者を手がけています。また、『短歌人』を編集したり評論やエッセイなどを書いたりもしています。仙台文学館の館長の要請があり、2007年の春に前館長の井上ひさしさんから引き継ぎました。月に2回程度、文学館を訪れ企画のアドバイスや文学振興活動のサポートを行っています。
専門のみに特化せず、広く学ぶことが大切
 東北大学はいわば自分が挫折した場所なのです。理学部では優秀な学生ではなかったですからね。ただ、自然科学の基本知識を習い物理学を学ぶことで、ものの考え方の原理を得ることができました。量子力学などを苦労しながら感動して学んだことは、自分自身の財産になりました。
 学生の皆さんには、常に自分の頭で考えることを基本に、学んだことを全部、自分の言葉に言いかえ、世界観を組み立てるようにして突き進んでほしいと願っています。自分で手探りしていって初めて、創造的な思考、新しいものを生み出すことが可能になりますから。
 また、専門だけに特化しないで、ジャンルにこだわらずに広く学ぶことが大切です。「理系」と「文系」という言い方をしますが、それらは根源的にはつながっています。みな人間の「知」の営みですから。例えば、医学はサイエンスの最先端ではありますが、根本は人間の生き死にに関わっている。病む人の心の揺れをはじめ人間を理解するにも、文学や哲学、宗教など「文系」の知識と感性は無縁ではあり得ない。万葉集の歌一つわからないようでは、人間に関わっていけるかと思ったりするわけです。「文系」の人にも同じことが言えますね。極端ですが、物理の原理もわからないで本質論や存在論を進めていいのか、となるわけです。
 とにかく、専門に特化してしまうと膠着し、新しい考え方、捉え方が生まれにくくなるのではないでしょうか。
これからは、「たしなみ」がキーワード
 かつて、日本には「たしなみ」の文化がありました。「武士のたしなみ」と言われたように、趣味や芸事に手を染める伝統は戦前まで続いてきましたが、今はだいぶ崩壊してしまっています。ひとかどの人間には「たしなみ」の有る無しが重要です。自分なりの「たしなみ」を持つことで、さまざまなことが学べますからね。言うならば、歌一つ歌わないで、人間としての骨格、人格が出来上がるか、となりますか。ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も、短歌を作る時がありました。研究に疲れると歌を詠み、心の世界に浸ったのです。
 これからは、「たしなみ」がキーワードになるかも知れません。今の日本社会の全体が、明日役に立つ勉強をすべき、という傾向にありますが、それだけでは実は心は充分に満たされません。書道や俳句、短歌など日本人ならではのものだけでなく、今には今の「たしなみ」があっていいとも思います。



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