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東北大学ひと語録

《諸子はすべからくのろ(鈍)づよ(強)かれ 》

石田  名香雄

石田 名香雄(いしだ・なかお)

プロフィール

1922年(大正12)新潟県生れ。東北大学医学部卒。細菌学の教授として多数の医学研究者輩出。『センダイウイルス』発見。日本学士院賞、野口英世賞受賞。勲一等瑞宝章受章。東北大学総長歴任。仙台市名誉市民。東北振興策『東北インテリジェント・コスモス構想』主導。2009年(平成21)没


 石田名香雄を偉才ならしめた理由の一つに、闘争心と反骨精神が挙げられるかもしれません。
  「ウイルス病につける薬はない」と言われていた時代に、ウイルス研究を選び、最先端を目指す。1984年(昭和59)には、仙台の地で、日本で最初の国際ウイルス学会を会長として取り仕切り、大成功を収める。石田の行動に、未知に挑む情熱と負けじ魂を感じるのです。

  ところが研究一筋の堅物ではなく、酒を愛し、詩心があり、人が好き。気さくで、ざっくばらん、明るい人柄です。茶目っ気もあり自然に人々の集まりの中心になってしまう石田でした。旧制二高時代にはボート部のコックス(舵手)として活躍と聞き、なるほどと感じたものです。

 さて、石田と言えば、「センダイウイルスの発見及びその構造と機能に関する研究」があまりにも有名です。1953年(昭和28)に新種の『センダイウイルス』を発見。日本学士院賞を受賞します。その後に細胞を融合する特性が解明され、細胞内に遺伝子を導入する手段として分子生物学などでも活用されました。
 最近は、遺伝子治療での、安全性に優れ、遺伝子を細胞内に送り込む効率の高いベクター(運び屋)として再評価され、国策で設立されたベンチャー企業が実用化も実現します。生命科学分野の外国人研究者は、「仙台」と聞けば、『あのセンダイウイルスの?』と反応するほどです。

 石田の主宰した『細菌学教室』は、厳しくも自由な学風を慕う俊英や豪傑タイプの若者が全国から集い、梁山泊(りょうざんぱく)のような存在と評されました。事実、石田の現職の教授時代にすでに、門下生から20人を超える教授が誕生。文化勲章受章のがんウイルス研究の日沼頼夫もその一人です。

 石田は、1983年( 昭和58)から1989年(平成元年)の6年間、第15代東北大学総長を務めます。大学運営のスローガンが、『明るい東北大学づくり』。「門戸開放」でさまざまな大学の出身者が集う東北大学の特質を踏まえた指針の提示だったような気がします。
 学部間の横の風通しを良くする文理融合にも取り組みました。真摯に学問に向き合える環境をつくれば、相互理解と尊重が生れ、さらなる自由闊達な東北大学になる、との信念でしょう。

 総長としての折々の行事、式典、学内誌での石田の挨拶や文章を読み返しますと、いまさらながらに石田の時代の本質を見通した先見の明には舌を巻く思いがします。たとえば、日本が経済的に「絶頂期」にあり、社会全体が浮かれていた時代にすでに、総長としての石田は日本の経済破綻の懸念を、卒業式や入学式の学生たちに向かってたびたび指摘しています。

 《金融大国の日本は、経済大国には成長し得ないだろう。理由は、比較経済学の見地から分析して、いま日本が文化国家を目標として立ち上がらない限り、日本はペーパーマネーが溢れるだけの国で、世界における存在価値を見失う》
という、日本への強い危惧の表明でした。
 学問で磨かれた深い英知とは、社会のあらゆる現象の洞察にもその本領を発揮するのです。

 いろいろ名言の多い石田ですが、『教養部報』で新入学生に訴えていた言葉を取り上げました。
 これは、石田が日ごろ大事にしていた信条で、自身が卒業した旧制二高の三好愛吉(みよし あいきち)校長が生徒たちに良く話していた内容とのことです。石田は、学生たちに勉学に励むさいに東北大学が立地するみちのくの風土を意識する重要性を力説します。つまり、皮相な理解で才気を誇るスマートさに走るな。目先の功利に惑わず、耐えて粘れ。広々とした野に出た時に感じる、とらわれぬ闊達な「野ごころ」を持ち、遅く鈍(のろ)であっても良い、ひたむきに学問や事に当たれ。
 そこに人間としての真の強さ、たくましさが生れ、本質的な物事を成し遂げる人間になれる。いわば「東北大学魂」とも言うべき趣旨を、真剣に、何度も学生たちに説くものでした。

 「中央何するものぞ!」との石田の気概は、1987年(昭和62)に始まった『東北インテリジェント・コスモス構想』提唱へ結びつきます。「コスモス構想」とは、21世紀の東北づくりを目指し、石田たち東北大学人を中心に、地元が自発的に考え出し、国に働き掛け、準国家事業として認めさせたもの。東北七県の産学官の連携による東北の高度化計画でした。
 ウイルス学の泰斗石田は、構想名の名づけ親となり、東北のための知恵袋、未来計画者、地域事業統括者の役割をも果たしました。石田だからこそ、各界の人々が結集し、実現できたのでしょう。仙台市名誉市民でもあった石田は、逝きてますますその名の香り立つ丈夫(ますらお)でした。

文中敬称略、ルビ・カッコ内補注筆者。お子様などご家族にもお見せいただければ幸いです。
当シリーズへの、ご意見、ご要望をお待ちいたします。

主な参考資料
▽『フロム ザ・プレジデント』 石田名香雄著 金港堂出版部刊 1989年▽『戸隠・医学身辺雑記』 石田名香雄著 1983年▽『石田名香雄東北大学長退官記念 細菌学教室 研究業績目録(Ⅱ)(1980-1989)』 東北大学医学部細菌学教室同窓会 発行 1989年




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