―鳥人間コンテスト初優勝を成し遂げて―
 私が設立3年目の東北大学・医学部薬学科に入学したのは1959年、今から47年前のことになります。現天皇陛下と美智子妃殿下の世紀のご結婚式典が行われたのが4月10日、ちょうどその日に蒸気機関車に揺られながら仙台に赴いたのを今でも鮮明に覚えています。当時は「将来は薬剤師になって、薬局のオーナーにでもなろう」、という軽い気持ちでした。
 ところが大学4年になって研究室に配属になり、研究の面白さが分かるようになると、薬学への取り組み方が大きく変わってきました。私は配属先として「生物薬品化学教室」を選びましたが、恩師の故竹本常松先生との出会いが私のその後の人生を大きく変えることになったと思います。
 先生は、「マクリ」という海藻からカイニン酸という駆虫成分を発見し、戦後日本の衛生状態の改善に大きく貢献されたことで有名ですが、東北大学教授となられてからも天然に存在する有用物質を数多く発見され、常に新しい話題を提供してこられました。先生は「目のつけどころ」が凡人とは全く違っていたように思います。キノコや海藻にハエが集まるのを眺め、道端に生えている雑草を口に含んで味見をしては、「これは面白い!」と研究材料を選ばれるのです。理屈ぬきの「感性」とでも言うのでしょうか、とにかく好奇心旺盛な先生でした。私は結局大学院修士課程を終えるまでの3年間、このような竹本先生に直に接し、数々のご薫陶を受けることができたのは大変幸運でした。
 ある日竹本先生に「君は将来何がしたいのかね?」と聞かれた折、「新しい薬をつくりたいので、製薬会社に行きたい」と答えましたが、先生のご推薦もあって1965年に武田薬品に入社し、大きな土俵で「くすり創り」をする機会を得ることができました。私は当時、天然物から新薬を探すよりも、自分で考えて新しい化合物を創り出すことのできる「有機合成化学」に大きな可能性と魅力を感じ、躊躇なくその道を歩むことにしましたが、竹本先生と同じことをやっていては、竹本先生を超えられないという思いがあったことも否めません。幸い多くの共同研究者にも恵まれ、全く新しい糖尿病治療薬を始め、4種の新薬を世に送り出すことができました。若いころの夢を実現し、少しでも人々の健康に貢献することができたのは、恩師のお陰と感謝しています。
 1999年からは浜理薬品という、主として薬の成分(原薬)やその合成中間体を製造する現在の会社に移りましたが、すでに出来上がっている製品を造って売るだけでは飽き足らず、今でも若い人たちと一緒になって新薬を生み出すことに情熱を傾けています。学生時代に教えられた、東北大学の「研究第一主義」の理念は、大阪へ来て41年経った今でもまだ、綿々と私の中で生きています。同じ志を持つ後輩の皆さん、大いに期待しています。


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