後藤 順一=文
text by Junichi Goto

胆汁酸とは?
 胆汁は、melancholy(black bile:黒胆汁、憂鬱の原因と考えられた)という言葉の由来からもわかるように、古くギリシャ時代から身体の重要な構成要素とされてきました。18世紀には、その生理的意義として脂肪の消化、吸収を助けるという役割が指摘されていますが、それは主要な成分である胆汁酸によるものです。19世紀に入ると、この胆汁酸の化学構造の解明と、生合成や代謝に精力的な検討が加えられました。その後、胆汁酸研究は少し下火になりましたが、1970年代に入り胆汁酸の一つであるケノデオキシコール酸にコレステロール系胆石を溶解する作用のあることが報告され、外科的手術の対象だった胆石症を薬物療法で治療できるということで、大変な注目を浴びることになりました。
 ところで、日本では漢方で知られる熊胆(くまのい)が古くより胆嚢付近の痛み(三大疼痛とも言われます)に用いられていましたが、主要成分のウルソデオキシコール酸は、ケノデオキシコール酸とよく構造が似ており、これにも同様の作用を持つことが日本の研究者により証明されました。現在では、より副作用が少ないことから、こちらがコレステロール系胆石溶解の薬物療法に主に使用されています。市販の胃腸薬の中にはこれを含んでいるものもありますので、注意してご覧になってみてください。


病態の把握に活用

 胆汁酸は、コレステロールから作られる最大量の生体内物質で、肝臓で生合成された後、一旦胆嚢に蓄えられます。食事をとると腸へと排泄され、ここでビタミンやコレステロールなど水に溶けにくい食物成分とミセル(石鹸の泡を想像してください)を作ってこれらを包み込み、体内に吸収しやすくします。その後、自分自身も腸壁より吸収され、肝臓へと戻ります。
 このように胆汁酸は、肝臓、胆嚢、腸に局在していますが、肝臓や胆道系の病気の時には血液中の胆汁酸量が増大します。このことから、血液中の胆汁酸の濃度変化を病気の診断に利用しようとする研究がさかんに行われるようになり、そのための信頼度の高い測定法が必要となり、私たちも目的に応じた測定法を開発してきています。


胆汁酸と大腸癌発症の関係
 私たちグループの現在の研究について、少しお話しましょう。薬をはじめ口から入った生理活性物質は、まず腸壁を通過し、血液内に移行する(すなわち生体内に取り込まれる)ことになります。次いで、その作用を発揮するには、肝臓や脳内などの細胞に入ることが必要となります。さらに、体外へ排泄される時には、腎臓の細胞を通過することになります。このような生理活性物質の移動に大きな役割を果たすのが、細胞表面に存在するトランスポーターという蛋白質です。私たちも、腎臓の血管側に中性の生理活性物質の移動に関わるトランスポーターを、世界で初めて見つけています。
 加齢によって、腎臓の機能が低下し、生体内の薬物の排泄が遅くなり、副作用が出やすくなります。このトランスポーターの機能を解析することによって、腎臓からの排泄が容易な薬物のデザインも可能となるでしょう。
 発がん性物質が、細胞内のシグナル伝達(例えば細胞の増殖を制御する情報伝達)を抑制したり、促進したり、全く異なる情報が伝えられることによって、がんが発症します。胆汁酸はこのようながん原性物質ではありませんが、大腸癌のプロモーター(発がん促進物質)となることがずいぶんと前から知られていました。しかし、どのような機構なのかはわかっていません。

コール酸は、CoAと反応してCoAエステルになり、次いでアミノ酸と融合して、抱合型コール酸になる(上段左から右への経路)。実はこの過程で、いったんより活性なコール酸アデニレートになり(左側下への経路)、通常はこれがCoAエステルに変換される(真中上絵への経路)。CoAが足りないと蛋白質(ヒストンH3)と融合して付加体を生成する(下段左から右への経路)。ヒストンH3の構造中、赤で示したところにコール酸が結合する。

 胆汁酸は、細胞内でCoA(コエンザイムA)チオエステルという形になって、グリシンやタウリンと結合した抱合体になります。この代謝過程は、胆汁酸にとって最も重要なものです。ところが、このチオエステルへの変換に先だってアデノシンモノリン酸という物質との縮合体である胆汁酸アシルアデニレートができることが、私たちの研究で判明しました。
 普通ですと、これが瞬時にチオエステルに変換されますが、CoAが不足しているとアシルアデニレートがたくさん生成します。中間体は大変に化学的に反応性が高く、簡単に蛋白質と安定な複合体を作ってしまいます。一方、生体内にはヒストンという重要な蛋白質が細胞内にありますが、これは細胞質で生合成された後、核内に移行し、DNAと複合体を作ります。中でもH3と呼ばれるヒストンの末端は自由度が高く、メチル化、アセチル化やリン酸化といった修飾によって細胞の増殖などの情報の伝達に関与します。食事後には大量の胆汁酸が大腸細胞内に取り込まれることになりますが、この時、一過性にCoAが不足し、アシルアデニレートが生成し、このヒストンH3が胆汁酸で修飾されて(図を参照)、本来の修飾反応が進行しないという状況も想定されます。
 そこで、その検証を行ったところ、このヒストンH3の4番目のリジン残基に胆汁酸が特異的に結合することがわかりました。通常、この位置はメチル化を受け、これが他の位置のアセチル化やリン酸化を制御していることから、大腸癌発症との関係が注目されます。


脳の中にも胆汁酸がある
 
胆汁酸は蛋白質溶解作用(これをデタージェント作用という)を持っており、神経の軸策を溶かしてしまうということもわかっています。このため、これまでは脳内には存在しないと考えられてきました。
 しかし、私たちは従来とは異なる新しい測定法を作り検索したところ、ケノデオキシコール酸が結構多量に存在し、しかもある種の蛋白質(まだ構造は明らかになっていません)と、大変強固に結合した状態で存在することがわかりました。
 さらに調べてみると、脳内で活性は弱いもののこの胆汁酸を生合成する酵素系が存在すること、また脳内のある特定の組織に胆汁酸に特異的なトランスポーターが存在していることもわかってきました。この組織はパーキンソン病発症と深く関わっていることから、今後、脳内における胆汁酸の役割を解明し、病気との関係、さらには適切な医薬品の創製に役立てるつもりです


ごとう じゅんいち

1944年生まれ
現職:東北大学病院 教授
専門:臨床分析化学



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