[研究室からの手紙]
       
思い出「ホーキング博士の仙台訪問」
土佐 誠=文
text by Makoto Tosa

 

 「ホーキング博士、ひょっこり仙台へ」1993年7月26日の河北新報紙はこのような見出しで、スティーブン・ホーキング博士の初めての仙台訪問を伝えました。ホーキング博士といえば、車椅子の天才物理学者として、誰もが知る有名な科学者です。突然の出現に仙台市民も驚いたようです。その時、私は幸いにも、ホーキング博士との出会いという貴重な経験をすることができました。以下にその記憶を辿ってみました。

写真1:ホーキング博士(中央)を囲む。右端は著者。

 実は、その数日前、東京大学の佐藤勝彦教授から「ホーキング氏が仙台に行きたいというので、夕食に付き合ってほしい」という電話がありました。さらに、博士の希望は「私的な訪問なので静かに仙台を楽しみたい。そして、東北大学の若い人たちとも話がしたい」ということでした。
 博士は、東京で行われた講演の後、国内旅行を計画され、「昔、アインシュタインが仙台を訪問した」という話を聞いて大変興味を持ったということでした。
 突然のことで対応にとまどったのですが、居合わせた天文学・物理学・地球物理学専攻の教官や大学院生十数名を誘って宿泊先のホテルに向かいました。
 出席者のほとんどがホーキング博士とは初対面で、緊張して待つなかホーキング博士が電動の車椅子に乗って静かに登場です。期せずして拍手が起こり、まるで映画の一シーンを見るようでした。
 最初は皆たいへん緊張していたのですが、挨拶の言葉を交わすうちに、すぐに打ち解けて自然に会話が弾みました。そして、いつの間にか博士を囲んで人の輪ができ、博士のユーモアに笑い声が絶えませんでした。
 ホーキング博士は、全身の筋肉が萎えてゆく筋萎縮性側索硬化症という難病のために声を失っておられ、実は、コンピュータと音声合成装置の力をかりて会話をするのです。
 車椅子にはコンピュータと液晶ディスプレーが備え付けられ、博士はカーソルを操作して辞書から単語を選び、文章を組み立てていきます。それが画面に表示され、同時に、合成音声が発せられます。博士は、手も指も自由に動かせない様子ですが、手にリモコンのような入力装置を持ってカーソルを操作するのです。画面上のカーソルは、その体からは想像できないような速度で走り回り、次々と文章を組み立てていきます。

写真2:ホーキング博士のコンピュータ 画面。右手でカーソルを操作しています。

 実は、博士の人柄とともに、ここに会話が弾んだ理由がありました。英語の会話に慣れていない学生たちにも、画面上の文章が「字幕」となって、博士の言葉をよく理解できたのです。字幕を見ながら合成音声を聞き、博士の表情を見て、「字幕付き会話」を楽しんだのです。いつの間にか夜もふけ、すっかりご馳走になり、素晴らしい思い出を頂いて、一同ホテルを後にしました。
 博士の近著に『クルミの殻のなかの宇宙(原題)』という本があります(邦訳:『ホーキング博士、未来を語る』佐藤勝彦訳)。題の「クルミの殻」は、シェークスピアのハムレットの台詞「我々は、例えクルミの殻に閉じ込められていても、自らを無限の宇宙の王だと考えるのです(意訳)」から採られたようです。
 この「クルミの殻」はさまざまなことを連想させます。私たちはさまざまな制約(クルミの殻)の中で生活しています。ホーキング博士は、重い障害というさらに硬い殻をかぶせられているように思えます。私たちの脳を覆う頭蓋骨も硬いクルミの殻のようです。そのようなクルミの殻の中に閉じ込められていながら、人間の思考は限りなく広がっていきます。ホーキング博士を見ていると、体も脳も硬いクルミの殻に閉じ込められていてもなお、限りなく広がった宇宙を思考し逍遥する、まさに無限の宇宙の王様のようです。


とさ まこと

1944年生まれ
現職:東北大学大学院理学研究科教授
専門:天体物理学・銀河物理学

ページの先頭へ戻る