「教える」における
「間」の大切さ



生田 久美子=文
text by Kumiko Ikuta

 これまでの教師生活の中でつくづく思うことは、何と「教える」ことの難しいことか、ということです。特に、教育学を専門としている私にとって「教える」という行為は、二重の意味での困難を背負うことを余儀なくされます。というのは、教育関係における「教える」「学ぶ」の分析を研究テーマとしている私が、教室の中で学生に向けてそうしたテーマで講義をするということは、同時に「教える」の1つの実践モデルを提示することを意味することになるからです。
 ただ、最近になって1つ思い当たることは、「教える」という行為において重要なのは、教師と学生の間の、まさに「間」の取り方にあるのではないかということです。90分の講義を終えて、「今日はうまくいった」「学生がよく聞いてくれた」と満足感に浸れるのは、私の「呼吸のリズム」と学生のそれとがうまく呼応できた時であり、反対に「うまくいかなかった」と疲労感を増幅させてしまう時というのは、私が話した内容の難度がそうさせたというよりも、私の話のリズムに学生が共振できなかった時であることに気がついたのです。
 「間が大事である」とは、しばしば伝統芸道の世界で言われることです。例えば、観世栄夫は、演能における「コミをとる」「息をつめる」といった呼吸のリズムが、相手役、観客との関係の中で決定されなければならないし、またそうした時々刻々と変化する状況の中で決定された共振するリズムが能の「わざ」を際立たせる、と述べています。共振するリズムとは、同じ状況にある人間が「同時に感じる調和、ハーモニー」、いわゆる「『息』があったこころもち」と言い換えることができるでしょう。
 講義もまた、教師の独演であってならないことは言うまでもありません。それは、話を聞く相手役の存在を前提にして、初めて成立する行為なのです。だとすると、私の話すリズム(「間」)は、私が勝手に決めるわけにはいきません。講義を始める前に、私がまずもって注意を向けるべきは講義にのぞむ学生の状態であり、意識であることになります。そして「時々刻々に変化する状況」の中で、双方のリズムを共振させていくことが「教える」という行為を「際立たせて」いくし、またそのことが結果として「うまくいった講義」として評価されるのでしょう。
 ただ、かく言う私が毎回、学生とともに「ハーモニー」を感じるような講義をしているかといえば、残念ながら冒頭で吐露したように、「息」は「息」でも「ため息」をつくことの多いのが現実であると言わざるを得ません。「教える」もまた、伝統芸道と同じように 果てしない修行の 積み重ねである ということ なのでしょう。


いくた くみこ

1947年生まれ
現職:東北大学大学院
   教育学研究科教授
専門:教育哲学



I N F O R M A T I O N
公開市民講座自然史講座
「スコラボタニカ」

東北大学史料館 企画展
「東北帝国大学と女子学生」
第1回 4月21日(日)10:30〜12:00
   「青葉山の森、40年の変遷を追う(その2)」
   附属植物園長 鈴木 三男
第2回 5月26日(日)10:30〜12:00
   「葉はなぜ枯れるか」
    生命科学研究科助教授 彦坂 幸毅
第3回 6月23日(日)10:30〜12:00
   「土をみるのは楽しい」
    生命科学研究科助手 佐藤 孜
●定員:各60名
●受講料:無料(ただし、入園料220円必要)
●会場・問合せ先:理学研究科附属植物園
(東北大学川内キャンパス:仙台市青葉区川内 /
 tel 022-217-6760)
 http://www.biology.tohoku.ac.jp/garden/
 大正2年(1913)に女子学生を帝国大学として初めて受け入れて以来、東北帝国大学は女性の進学できる大学として、日本の大学史上きわめてユニークな存在でした。今回の展示では、この女子学生とのかかわりという視点から本学の歴史を紐解き、当時の写真・資料を通じてその一端をご紹介する予定です。
●期間:平成14年3月1日(金)〜5月2日(木)/3月17日(日)・4月20日(土)も開館します。
※その他の土曜・日曜日は休館します。
●入館時間:午前10時〜午後4時
●会場・問合せ先:東北大学史料館
(東北大学片平キャンパス:仙台市片平2−1−1/ tel 022-217-5040)
  http://www.archives.tohoku.ac.jp

ページの先頭へ戻る