空気と水と
摩擦の世界

加藤 康司=文
text by Koji Kato


2つの物体を接触させ擦ると音がでる
繰り返し擦ると摩耗して音が変わる
それらの変化を気にせずに擦り続けると
火がでたり、鏡になったり
刃物ができたりする

摩擦と音と熱と摩耗

人類は昔からその現象を知り
使いこなしてきた
しかし、その現象を理論的に
説明することは今も出来ない
夕暮れ時にいっせいに鳴く
ひぐらしの声を愛でることはできても
その声の出方を説明することは
出来ない

無理もない
固体の中の規則的な原子の並びを
ようやく理解し
その並びのわずかな乱れが引き起こす
現象を今理解しているところだ
固体の表面の原子の並びは
メチャクチャであることが
最近理解されつつあるところだ
地上の物はすべて
空気と水に包まれているのに
それらを無視できる内部は
表面に比べ全く特殊な世界であることを
認識しているところだ

原子配列が乱れ空気と水に覆われている

そんな表面同志の摩擦を語ることは
乱れを語り空気と水について語ることに近い
摩擦抵抗も音も摩擦も
すべては乱れと水と空気の影響下にある
その当然の事が自覚された時
二十世紀は半ばをすぎていた

なのに紀元前二千年のエジプトのエンジニアは
木のソリと乾いた大地の間に水を与えれば
摩擦抵抗が半分になることを知っていた
摩擦抵抗を半分にすれば
ロープの太さも奴隷の数も
養う食料と宿舎も半分になり
奴隷獲得の戦争と兵士の死者数も
半分になった

現代の技術者も知っている
セラミックス同志を水の中で擦れば
金属同志を油の中で擦るよりも
ずっと摩擦抵抗が低いことを
都市に水を運び、高層ビルの最上階まで
水を押し上げる水ポンプのための
油潤滑の金属軸受けは不要になった
セラミックスの軸受けが水で潤滑され
ポンプの大きさは五分の一になった

水で潤滑されて機械は動く

宇宙に飛び出す時
初めて空気と水の恩恵に
気がつくことになる
摩擦に起因した事故は既に
多数発生している
私たちはもはや経験に基づき技術を
手に入れることができない

空気と水の無い宇宙

それは科学先行による
技術開発の世界
それは固体の内部と似た世界
そこに乱れきった原子の並びと
動きを問う

地上に空気と水を想い
宇宙に無と乱を想う
摩擦の世界


Transporting an Egyptian colossus-from the tomb of Tehuti-Hetep, EL-Bersheh(c.1880 B.C).
【木のソリの先端に立ち潤滑水を流しているエンジニア History of Tribology, D.Dowson著より】

Tribology(トライボロジー)は1996年にイギリスで提唱され今では大英辞典に掲載されている。意味は摩擦学に相当する。nm〜kmのスケールにおける固体間の接触と摩擦を対象とする科学である。摩耗が含まれ、技術として潤滑が含まれる。境界学問である。

かとう こうじ

1943年生まれ
現職:東北大学大学院 工学研究所教授 専門:トライボロジー

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