宮城の牡蠣はコスモポリタン 

森 勝義=文

もり かつよし

1939年生まれ

東北大学大学院農学研究科教授

専門:水産増殖学

「牡蠣筏 雨に打たれて 相寄れり」(気仙沼にて、佐野青陽人)

「牡蠣むきの 殻投げおとす 音ばかり」(松島湾牡蠣処理場にて、中村汀女)

「牡蠣鍋の 宵よりさんさ 時雨かな」(松島にて、佐久間木耳郎)

 これらの句は1992年に出版された「北海道・東北ふるさと大歳時記」(角川書店)の牡蠣の項から拾ったものです。いずれもおらが国宮城の冬の風物詩です。特に最後の句からは寒い夜の食卓に出された牡蠣鍋や酢牡蠣、老いた漁師がさびた声で歌うおはこの「さんさ時雨」とそれに手拍子をとる家族達……、というようなほほえましい光景が目に浮かんできます。

 わが国のカキ(和名マガキ)の生産量は殻付きで年間約22万7千トン(1995年)で、その約58%を広島県、約22%を宮城県が占めています。このように、成貝の生産量では、宮城県は広島県に大きく水をあけられていますが、実は宮城ガキをわが国だけでなく世界的に有名にしているのは、仙台湾沿岸で行われる種ガキ(カキ養殖用の種苗)の生産です。宮城ガキは低水温でも成長が良く、環境変化にも強いので、大量の種ガキが北アメリカ太平洋岸(1925年〜1978年)やフランス各地(1968年〜1979年)へ輸出されていました。しかし、移殖された宮城ガキからの採苗が現地で可能になったために今では輸出されなくなりました。つまり、宮城ガキは、アメリカ・カナダ・フランスで新たな産業種として完全に定着したほか、最近ではイギリス、さらに南アメリカのチリにも根付きました。

 このように、従来生息していなかった国々へ移殖された宮城のカキは、もはや、おらが国宮城の冬の風物詩にふさわしい存在だけにとどまらず、名実ともについにコスモポリタンになったのです。とりわけ、料理をひとつの芸術の域にまで高めた食通の国フランスでさえも、その味わいの奥深さが高く評価されていることは、農学部創立当時から一貫してカキ産業の発展を支えてきたわが研究室にとって本当にうれしい限りです。このコスモポリタンガキとしての名声をさらに高める努力を今後も続けて行きたいと考えております。

わが国の伝統的な牡蠣鍋2種

写真1

コスモポリタンガキとしての風格を備えた宮城ガキ(左)。フランスガキ(右上)やオリンピアガキ(右下の2個体)と異なり、貝殻(写真1)は細長く、閉殻筋すなわち貝殻を閉じるための筋肉(写真2)が相対的に小さいという特徴をもつ。

写真2