スピントロニクス-スピンを使う新しいエレクトロニクス-

大野 英男=文
text by Hideo Ohno

 

情報技術を支える電荷とスピン

 球技で言うバックスピン、アイススケートのビールマンスピン、さらには車のスピンなどからおわかりのように、スピンとは回転のことです。20世紀の初頭、電子は回転しているので小さな磁石になると考えられました。そのため、電子がもつ磁石としての性質をスピンと呼ぶようになりました。その後、回転とは無関係に電子は小さな磁石であることがわかりましたが、スピンという呼称は残ったのです。電子のスピンは、通常バラバラの方向を向いていて打ち消しあっています。スピンを一つの方向に並べる性質がある物質は、私たちの知っている磁石となります。
 今日のエレクトロニクスは、電子の電荷(電気を帯びている性質)とスピンで支えられています。パソコンでは、情報が半導体の集積回路で処理されます。そこでは電子の電荷の流れを利用しています。処理した情報は、ハードディスクに蓄えられます。そこでは磁石を利用して、すなわちスピンを使って、情報を失わないように蓄えています。パソコンでは、電子の電荷とスピンを上手に、しかし別々に使っているのです。
 これに対し、私たちは、電荷とスピンを同時に使うことに取り組んでいます。さらに必要に応じて光(フォトン)も使います(図1参照)。この分野は、スピンエレクトロニクス、またはスピントロニクスと呼ばれています。

磁石を使ったメモリと半導体集積回路

 ごくごく初期のコンピュータに使われていたメモリは磁石でできていました。見たことがある人はもうだいぶお年です。その後、より高性能、高信頼性、そして安価な半導体メモリが開発され、磁石を使ったメモリは使われなくなりました。日本の半導体メモリは一時世界を席巻しましたが、今は復活を狙う追う立場になっています。
 さて、半導体のメモリは2種類に分けられます。論理回路と一緒に使う電気を切ると情報が失われてしまう揮発性メモリと、デジカメや携帯、メモリスティックに使われるフラッシュメモリを中心とした不揮発性メモリです。集積回路はトランジスタを小さくすることで性能を上げ、価格を下げてきましたが、消費電力の壁にぶつかりつつあります。待機電力が増加の一途をたどっているのが一因です。これに対処するには、揮発性メモリと同等の性能、すなわち高速で動作し、書き換え可能回数が無限大の不揮発性メモリを開発する必要があります。不揮発性メモリには待機電力が不要だからです。
 私たちが、開発しているスピントンネル素子は、薄い絶縁体を挟んだ2枚の磁石で構成されています。磁石の向きが同じときに低抵抗、反平行のとき高抵抗となり、これで1、0を記憶します。性能指標として抵抗の変化率を表す磁気抵抗比がありますが、世界最大の500%を実現しています。この素子をメモリの記憶部に使うことにより、高速かつ書き換え回数が無限大の不揮発性メモリが実現できます。また、集積回路の配線の中に埋め込むことができるため、半導体集積回路の上層に不揮発性の記憶層をつくることができます。これは現在の揮発性メモリでも実現できません。従って、スピントンネル素子は、トランジスタと密に組み合わせて新しい集積回路形式を実現できる、現在知られている限り唯一のものです。これにより、現在集積回路の一つのボトルネックである配線による遅延や電力消費、コストを大きく減らすことができるばかりでなく、新しい集積回路形式として必要なところにだけ電源を供給する不揮発性ロジック集積回路も実現できるに違いありません。不揮発性ロジックを使うと、スイッチのオンオフを意識しないで使うコンピュータをはじめさまざまな高性能省電力機器が出現するでしょう。日本発の新しい集積回路技術、日本の半導体復活のきっかけとなることをめざして研究開発を進めています。

半導体を磁石にする

 将来を見ると、電荷とスピンを一つの材料で取り扱うことが望まれます。そこで、磁石であり半導体である物質とその応用の研究を進めています。レーザや高速トランジスタ用半導体であるひ化ガリウムと磁性元素であるマンガンとの混晶を育成することで、半導体であり磁石である強磁性半導体を創製することに成功しました。半導体が磁石となる理由を追究したところ、半導体中のホール(電子の抜けた孔)の数が多いほど磁石になりやすいということが理論的にわかりました。室温で磁石になるための条件も理論的に明らかにしました。これはまだ実現されていない重要なテーマです。
 さらに、強磁性(物質が磁石である性質)の電界制御に取り組みました(図2参照)。ホールが強磁性相を安定化していることがわかりましたので、キャリア数を増減させて、物質が強磁性を示すようになる温度(キュリー温度)を変化させる実験に取り組みました。必要な技術を理解・開発するのに数年かかりましたが、最後には、キュリー温度を可逆的に電界で制御することに成功しました。低温での結果ですので、すぐに実用にはなりません。しかし、磁石がギリシャの文献に現れた紀元前五世紀から今まで人類は磁石とつきあってきましたが、このように物質が磁石となるかどうかを、温度一定の条件で可逆的に変化させることは、これまで実現されたことはありませんでした。
 これらの研究は、スピンのエレクトロニクス応用に新しい次元を付け加えるものです。

半導体でスピンの量子力学的性質を使う

 最後に、もっと先の研究についてご紹介しましょう。電子のスピンは量子力学的な二準位系であり、スピンの向きは上向きと下向きしか存在しません。スピンが横向きの状態は、上向きと下向きの重ね合わせになります。この日常の世界にはない量子力学的性質を上手に使うと量子計算が可能になります。量子計算機は、今の計算機が不得意とするいくつかの問題を解くに適していることが示されていますが、量子状態の制御という人類にとって未踏の領域を開拓する必要があり、その実現には何十年とかかると予想されています。特に問題なのは、スピンの量子力学的状態が乱されやすい点です。半導体を構成する原子には例えばリンのように核スピンを持つものがありますが、この核スピンは状態が安定していて量子計算をさせるのに都合が良いことがわかってきました。
 私たちは、光のパルスを使って半導体の中の電子スピンを制御し、その電子スピンと核スピンの相互作用を使って核スピンを制御するという二段構えの方法で、核スピンの量子制御を可能にしつつあります。百億分の一秒という光のパルスを使って、原子の核スピンを操作することにより、最初の小さな一歩となる量子計算の基本的ステップの実証が間もなくできそうです。
 
 
     
図2 電圧(電界)を加えてキャリアである正孔を増減させることにより、等温・可逆的に強磁性相転移をオン・オフした。   図1 スピンと電荷と光(フォトン)を使うことにより、新しいエレクトロニクス(スピントロニクス)を拓く


佐藤 靖史

おおの ひでお

1954年生まれ
東北大学電気通信研究所教授
専門:半導体工学、スピントロニクス
http://www.ohno.riec.tohoku.ac.jp


ページの先頭へ戻る