進展を続けるニュートリノ研究
井上 邦雄=文
text by Kunio Inoue

 地球や太陽、宇宙で生成された素粒子・ニュートリノは、作られた時の情報を背負って飛び交っています。これにより、宇宙の歴史や星の経緯や一生、太陽エネルギーの生成メカニズムなどを解明することができます。
 ニュートリノ研究では、日本が世界をリードしています。その中心は岐阜県神岡の地下にあり、東北大学はそこで最新の実験装置カムランドを使い新しい成果を上げています。

太陽ニュートリノの欠損問題

 ニュートリノの存在が確認されたのは、20世紀半ばを過ぎてです。ニュートリノは、例えば水中で反応する平均飛行距離で言えば、実に太陽と冥王星の距離のさらに2000倍にもなります。そのため観測には巨大な検出装置を使い、すり抜けるニュートリノの中の一部がたまたま装置と反応した所を捕らえます。
 ニュートリノの発見後、ニュートリノの何でもすり抜ける性質を利用した実験が行われました。太陽ニュートリノの観測です。太陽はその中心で起こる核融合反応で輝き、ニュートリノも放出します。地下でのニュートリノ観測で太陽内の核融合反応を調べようというのが、最初のアイデアです。
 ところが、実際に観測されたニュートリノ数は、理論計算の3分の1ほどでした。この「太陽ニュートリノ欠損問題」は、その後も数々の実験で研究され、小柴先生にノーベル賞をもたらしたカミオカンデ実験もその一つです。しかし、21世紀になっても、この問題は解決していません。原因は太陽内の核融合反応にあるのか、ニュートリノの未知の性質のため太陽から地球に来るまでに減っているのかと、多くの仮説がたてられました。
 「ニュートリノ振動」は、その中でも有力な仮説でした。ニュートリノには、電子タイプ・ミュータイプ・タウタイプと三種類、さらにそれらの反粒子となる3種類の反ニュートリノの存在がわかっていました。素粒子の標準理論では0としているニュートリノの質量が、実は0ではなく、各ニュートリノが異なる質量の混合したものとすると、電子ニュートリノが飛行中にミューニュートリノに変化し、また戻るというように、振動するようにタイプが変わります。
 太陽内で作られた電子ニュートリノが地球に来るまでにミューニュートリノに振動していれば、ニュートリノが減ったように観測されます。これが本当なら標準理論を超えた大統一理論を構築する上で重要な要素となります。  

原子炉ニュートリノが問題解決

 ニュートリノ振動を観測するには、よく理解できたニュートリノ源が必要です。原子炉が発生する反電子ニュートリノは、よく理解できており、ニュートリノの発見以降、振動の探索にも使われていました。ただし、太陽ニュートリノの研究ではゆっくりとした振動が期待され、100km以上離れた距離での観測が必要です。遠く離れれば観測が難しくなり、より巨大な検出器と強力な原子炉、そして低バックグラウンド環境が必要になります。
 東北大学は、役目を終えたカミオカンデを譲り受け、最新のカムランド実験装置に作り替えました。千トンもの液体シンチレータを使うことによって、初めて平均180kmの距離でのニュートリノ振動探索が可能となりました。
 液体シンチレータとは素粒子の反応で光を発する透明な油状の液体で、水を使うより百倍も明るく、低エネルギーの現象まで精度良く観測することが可能となります。また、カムランドでは油状の液体シンチレータを純水で洗うことで、通常の物質と比べて1兆倍も放射性物質の少ない世界一清浄な観測環境を作ることに成功しました。
 実験は建設も含めて順調に進行し、2002年に観測を始め、同じ年には最初の結果を報告できました。その結果は「原子炉ニュートリノも減少している」でした。よく理解できている原子炉からの観測なので、ニュートリノの伝搬中の減少は確定しました。同じ年に全種類のニュートリノを観測する太陽ニュートリノ実験も行われ、太陽ニュートリノが種類の異なるニュートリノに変化していることもわかりました。
 カムランドの結果と太陽ニュートリノの観測結果をあわせると、消去法によりニュートリノ振動のある種の解しかあり得ないことがわかり、ついに30年以上未解決であった太陽ニュートリノ問題が解決しました。
 さらに、カムランドは、2004年までより多くのデータを蓄積し、原子炉ニュートリノのエネルギースペクトルも精密に観測しました。そして、距離÷エネルギーという変換をすることで、ニュートリノが飛行距離とともに、減少・復元を繰り返すというニュートリノ振動の直接的で決定的な証拠も突き止めました。ニュートリノの振動パターンも観測できたので、太陽や原子炉が放出する電子タイプニュートリノの伝搬が正確に計算できるようになったのです。

ニュートリノを利用して

 小柴先生はかつて、「ニュートリノ研究は何の役にも立たない」と言われました。その意図は、近い将来生活に役立つレベルには達していない、ということだと思います。しかし、カムランドがニュートリノの伝搬を解明したことにより、これまで見えなかったものを観測する研究手段としての利用が可能になりました。
 最初の太陽ニュートリノ観測がめざしたように、地上の生命活動のエネルギー源である太陽内核融合反応は、ニュートリノによって直接監視できます。核融合エネルギーが光となって放出されるには百万年もかかるので、百万年後の将来を見通した研究になるのかもしれません。
 また、地球内の放射性物質は反電子ニュートリノを放出します。放射性物質が放出する熱量は地熱の多くの部分を占めると考えられており、その地球からのニュートリノ観測は、地震や火山活動などの地球ダイナミクスを理解する上で、全く新しい情報をもたらします。
 ニュートリノのある種の性質は、宇宙が反物質でなく物質でできていることを解く鍵だと考えられています。また、宇宙全体は1立方cm当り約三百個のニュートリノで満たされており、光に次いで多い粒子です。先の太陽ニュートリノは、地球上で1平方cm当り1秒に660億個も突き抜けています。私たちの身体ですら、1日に3億個ほどのニュートリノを放射しています。実は、気づかないだけで、私たちの周りはニュートリノで満ちています。ニュートリノを理解することは、私たちの住む宇宙を理解する上で重要なステップであることは間違いないでしょう。


いのうえ くにお

1965年生まれ
現職:東北大学大学院理学研究科
   ニュートリノ科学研究センター教授
専門:素粒子実験
http://www.awa.tohoku.ac.jp/KamLAND/



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